プロフィール

 

こんにちは。

とびりゅうのプロフィールへようこそ!

 

29歳にして人生のレールを思いっきり外れてやりました。

みんなに「あいつどうしちゃったんだろ」と思われながら、我が道を進むことを決意。

 

レールを外れた瞬間、子どもを授かり、無事に第一子のパパになりました。

ぼくの人生どうなるか誰にもわかりませんが、突き進むしかありませんw

 

《 生 い 立 ち 》

1988年7月26日生まれ。血液型はA型。どうぶつ占いは「オオカミ」。しいたけ占いを結構信じていたりします。
ペンネームは、本名の飛 × 竜 からとって、「とびりゅう」となりました。

 

《 経 歴 》

会津若松市で生まれる

1988年7月、福島県会津若松市生まれ。2歳まで会津磐梯山を見ながら、田んぼに囲まれた緑豊かな土地で過ごしました。

とてもやんちゃな子だったらしく、目を離すと、すぐに逃走する癖があったそうです。障子に穴を空けるなんて、この子にとってみれば朝飯前。張り替えた途端に穴を開け、最終的には張り替えをしなくなったそうです。

 

いわき市で育つ

2〜12歳の10年間は、福島県いわき市で育ちます。学校では、”いい子ちゃん”を演じるようになり、とにかく褒められたい願望が強かったですね。

小学校時代はソフトボールに明け暮れ、ポジションはピッチャー。終盤になればなるほど、調子が悪くなり、最後はフォアボールの連続で負けたことが何回かある記憶があります。

 

この時から、ちょっとした油断グセがあったのかもしれませんwメンタルが弱めな、幼少期を過ごしました。

 

横浜市で中学時代!

中学入学と同時に、転勤で横浜市に引っ越し。田舎モンでも、都会の人には負けてたまるかと入学式に臨むが、いわき弁訛りをいじられまくり人と話すのがこわくなります。

自分が訛っているなんて思いもよらないので、早速都会の洗礼を浴び、また少し内気になるきっかけとなりました。

 

中学校は、結構治安が悪めだったので、一個上の先輩とかとてつもなく恐かった。何もしていないのに「調子に乗っている」と目をつけられ、呼び出されたこともありました。

いつもドキドキしてました。すれ違うたびに、「こんにちは」と知らない先輩に挨拶する日々だったので、この時から上下関係に敏感になってしまったのかもしれません。

 

落ちこぼれる高校時代

高校は、神奈川県にある私立 山手学院高等学校に入学。進学校であるにも関わらず、「髪を染めれる」ということに惹かれ、ずっと第一志望でした。

自由を尊重する校風だったので、授業も適度にひたすら遊びまくりますが、さすがは進学校。見事、学年最下位の成績を収め、先生からは何も期待されないそんな存在だったと思います。

 

大学受験時は、最後の1年間は集中的に勉強をしました。偏差値も40くらいのくせに、「絶対に慶応にいく。」というモチベーションだけで乗り切ります。

模試でどんなに悪い成績でも、本番までに仕上げることしか考えていませんでしたので、死ぬほど勉強しました。

無事、合格。

 

遊びまくる大学時代

大学時代は、受験のストレス発散から、サークルで毎日飲みまくるという奇行。授業もでず、ひたすらふらふらしていたような?出席カードだけもらい、大学の芝生で1日を過ごす日も。唯一、コミュニティ論を学ぶゼミだけは真剣に行ってました。

 

就活時代は、幅広く業界をみたものの、自分の軸は「年収」

この時は、完全に「大企業病」。ベンチャーは一社も受けないという、今思うとなんとも浅はかな学生でしたね。

 

年収がいい=営業というイメージがあったので、営業を中心に大企業をいくつか受けました。

4年生の4月から本格的に就活が始まる時代でしたが、3年生の1月で外資メーカーから内定ゲット。そこからは余裕を持って就活ができ、終わってみれば8社から内定を勝ち取りました。

 

製薬業界の最大手へ就職

会社員時代、研修を大阪でしたのち、最初の赴任地は、エイトプリンスこと、の八王子。すべってる。

「飲み」で営業できると思っていましたが、業界全体的に娯楽接待が原則禁止となり、真面目に働けと神様に言われた気がしました。

 

同期の中でも圧倒的に目立ちたいと思いだけで、泥臭い営業だろうがなんだろうがやれることはやり、最悪の基盤といわれた環境でしたが、気づいてみれば、進捗も前同前期もシェアも爆発に伸び、全社8位。

「あれ、8位って微妙?やっぱり全国1位を獲りたい!!」ということで、そこからは自分でも日本一動き回ったと言い切れるほど、営業というものを極めました。

人の心を動かすことだけを考え抜いた結果、最後まで死闘を続け、無事に全国1位を獲得。いやー、つらかった。

 

30歳手前にして、少しずつ疑問がでてきます。いくら会社のために働いても、給料って変わらない。

何億も売り上げ伸ばしても、ちょっとボーナスに反映されるくらい。なんだか会社から搾取されているんじゃないか?

 

いや、そもそも自分ってこんなもんか?

 

 

 

そこで決心したこと。

 

こんなところで終わってたまるか。

 

 

「自分の人生は、自分で豊かにする」

もっと自由に生きたいと思い、出世街道や年収を捨てることを決意。

今までの敷かれたレールをただ歩くだけの人生を辞めることにして、2017年夏に辞表を叩きつけます。

 

そして、何を思ったのか、地方にいけば新しい可能性があるかもしれないということで、東京から福岡へ移住。

周りからはもちろん、死ぬほど反対されましたが、もはや周りに流されること自体を辞めた時だったので、自分の意志を信じて移住しました。

 

自分の人生、結局自分しか責任がとれません。

 

これは、ぼくのセカンドキャリアの始まりです。

これからは、若者がもっと選択肢を拡げて、挑戦し続けることができる世の中にしたいと本気で思っています。

 

 

人生どうなるかわからないけど、だからこそ人生は楽しい!

オモロイミライに少しでも関わることができたら嬉しいです!

 

 

長々と読んでいただき、ありがとうございました。

 

どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m