自分に問いをかける止めた瞬間、あなたは「いま」から逃げている。


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最近、自分の中で、

とても大事にしていることがある。

 

 

 

それは、自分に対して、常に問いを与えること。

 

 

 

 

仕事に対する問いだけでも無数に出てくる。

 

 

たとえば、

なぜ仕事をしているのか?
自分は何を求めているのか?
組織から言われたことをこなしているだけじゃないか?
何を工夫しているか?
なぜ工夫しているか?
工夫するとどんないいことがあるのか?
自己満で終わっていないか?
その先には何があるのか?

 

 

 

瞬間的に考えるだけで、ざっとこれだけ挙がる。

その時の仕事の内容によっては、もっと出てくるだろう。

 

 

 

「自分に問いをかける」

 

 

これが日常から出来ている人はどれだけいるだろうか?

 

そんなことを出来ているに決まっているだろ、と思った方は本当に素晴らしいことだと思う。

 

 

普通の人はこんなこと出来やしない。

もう少し言い方を変えてみると、自分への問いを放棄している。

 

 

 

なぜかというと、この問い自体、意味をなさないことが多いからだ。

 

 

 

皿を洗っている自分に対して、「なんで皿を洗っているの?」と問いかける人はいない。

「そんなの、食って汚れたからだ」で終わるからだ。

 

 

 

これが、仕事に対しても同じことが起きる。

「なんで仕事しているの?」

 

 

これに対して、「は?生活するためだよ」で終了する人がいる。

 

 

だから、仕事ひとつひとつに対して、特に意味なんかない。

生活するためという大きな理由柱が立っているので、これ以上の問いかけはいらない。

 

 

 

というか、あらゆる問いをしたところで、答えられない自分がいることに気づいているんだ。

そして、そんな自分に出会ってしまうことを避けているんだろう。

 

 

 

いちいち意味を問いて、そこに意味がなかったら、自分の人生自体が無意味になってしまうことを恐れているんだと思う。

 

だから、大半の人は、自分への問いを捨てるんだ。

 

 

 

 

 

でも、その問いから逃げると、困るのは自分だということにぼくは気づいた。

 

なにがしたいの?
なんでしたいの?
それをするとどうなるの?
そしてどうなるの?
本当にそれ望んでいるの?
なんでそう思うの?
本当に?他の選択肢は?
その考えにいきついたきっかは?
なんで?なんで?なんで??

 

これに答えられないと、結局自分なんて見えてこない。

明確な答えなんていらない。

 

 

考えなんて、変わるんだよ。

その時考えていることを言えばいい。

 

だから、その瞬間の考えを、その時の自分が答えられるか。

 

 

そして、もっと言うならば、答えられなくもいい。

ただ、問いつづけるということは大事にしたい。

 

 

この問いがないと、一生答えなんてでるわけないからだ。

ある時、突然、その時の答えが降ってくる。

 

その瞬間がなんとも震える。

 

 

 

 

一丁前に他人には聞いてくるくせに、

いざ自分が聞かれると答えられない人がたくさんいる。

「あんたこそ、何も考えてないじゃないか」

 

一丁前に語る前に、自分が考えろ。

 

 

 

そんなオトナにはなりたくないなー。

 

 

 

さて、なんでこの記事書いたんだろう?

 

 

 

 

うん、なんとなく。

 

 

 

 

 

 

 

(終わり方が鳥肌立つくらいにキモい笑)



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ABOUTこの記事をかいた人

1988年生まれ。2011年慶應義塾大学総合政策学部卒。某大手製薬メーカーに営業職として入社。地域医療への貢献、大学病院から全国への医療機関への製品波及に携わる。どん底からのV字復活や、営業成績全国1位など数々の賞を受賞。2017年に新しい生き方を模索するために、福岡県大牟田市の地域おこしに参画。主に「若者×地域×未来」のキャリアを描く仕組みを創るため教育事業プロジェクトを始動し、現在に至る。